「生誕100年 岡本太郎展」
東京国立近代美術館で開催されている「生誕100年 岡本太郎展」に行ってきた。
特に新しい作品が公開されるわけでもなく、原宿と川崎に行けば見られる作品がほとんどだとのことでどうしようか迷ったけれど、やっぱり行って良かった。
何よりも太郎の作品から発散される、強烈なエネルギーに触れられたこと。「芸術は爆発だ」で知られる太郎だけれど、ボクはあまり「爆発」を感じない。
太郎の作品に込められるエネルギーは「喜び」であっても「悲しみ」であっても「怒り」でさえも常に穏やかさと共にあるように感じる。感情に任せてぶちまけるというよりも、冷静でユーモラスで、ある一面では挑戦的で。そういう意味ではインテリ的。
ちなみに会場は結構な混雑で、ボクが出てきた14:00頃にはチケット売り場も長蛇の列。早めの時間の方が良いのかもしれない。
太郎の歩みを「7つの対決」であらわすという試みはとても面白いと思うのだけれど、会場の大きさに対して作品の数が多すぎだと思う。
また、対決する相手の情報が少なかったのが残念。これもスペースのせいかも。
何よりも致命的だったのは、作品を鑑賞するための導線が交錯してしまい、じっくり作品と対話できなくてストレスを感じる箇所が何箇所もあったこと。あと、映像作品の配置が酷すぎる。
入口の作りと出口の仕掛けなどなど、キュレーターのはっきりした意志が感じられて、とても良かったと思う反面、粗が目立ってしまった。
写真は会場限定のガチャガチャ。全8種類で企画制作は海洋堂だってさ。
フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展
渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の
http://www.vermeer2011.com/へ行ってきた。
乱暴に言うと、
「フェルメール以外特に見るべきもの無し」
ボクがもともとフランドルが苦手だというのもあるのだけれど、
心を突き動かされるようなモチーフがないと感じてしまうからなのかも。
上手いか下手かで言えば、どの画家のものも上手だし、
静物画も肖像画もすばらしい技巧に驚かされる。
工芸品の展覧会であれば突き動かされるものがあるのだろうけれど……。
一方のフェルメール。
やっぱり違う。
素人のボクにも分かりやすいくらい違う。
科学の発達とともに「世界」が明らかになっていくことに対する
純粋な喜び、期待、使命感が、若い地理学者のまなざしを通して
現代のぼくらに訴えかけてくる。
そして、今回も改めて思った。
やはりフェルメールは「構図」の画家だ。
科学的に配置された構図にもボクはいつも参ってしまう。
もちろん「空気と光」を自在に操れる最高の画家でもあるけれど!
一週間
先週の今日は、会社からの25kmを歩いて帰った。
最初の3、4日は何が起きているの知りたくてテレビを沢山見た。
あまりにも衝撃的な映像ばかりを繰り返し流されるので、ここしばらくは、テレビをあまり見なくなった。
でも今朝は、避難所にいる人たちが自分達の安否を家族や知人に知らせる中継を流しているのを少し見た。家も財産も全て流され、着るものさえなく、中には親兄弟を亡くしている人もいる。そんな人たちが「元気だから安心してください」とカメラの向こうの家族や知人に呼びかける姿は辛くて見ていられなかった。
地震直後の「命は助かったから良かったじゃないか」という浮かれた決まり文句は、きっと色々なものを覆い隠してしまう。今は「恢復を信じています」という気持ちを行動で示すしかできない。
世界中が驚くようなスピードで日本は復興するだろうけれど、きっと日本は大きく変わる。
ぼくらが「良い」方向に変える。